あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

全身管だらけでも、おいしく生きたい。

ICUに向かうと、処置と重なってしまい待合室で待つことになりました。

待合室で待ってる時間てとても長く感じますよね。

普段自分も簡単な説明しかせず、ご家族を待たせてしまっていたなと反省しました。

 

待てど待てど、中からは呼ばれません。

忘れられたのかな?でもまた呼ぶのは気が引けるしな、なんて思いをグルグル。

何か時間をつぶすものを持って来ればよかったと。

何かしていないと、色々と考えてしまいそうで、紛らわしていたかった。

というのは表向きで。

自分の時間が奪われている感覚に陥っていて、何もできない時間がとてももったいなく感じる思考になっていたように思います。

 

そんなことを考えていたら、先生が書類を持って登場しました。

感染症治療に際し、体に入っている点滴の管を入れ替えるための同意書の説明でした。

その時もまた研究協力の同意書にサインしたような。

 

どのくらい待ったか忘れるくらいになって、やっと声がかかりました。

 

一日ぶりに会うのに、なんだか全身装備されてしまっていて驚きました。

首からCVカテーテル、右手には動脈圧ラインのカテーテル、胸腔ドレーンに腹腔ドレーン。

 

CVカテーテルは、太い静脈に挿入するカテーテルのことで、点滴の投与に用います。

普通の入院だと腕からの末梢点滴が多いですが、点滴の数が多かったり、点滴の内容によって、末梢静脈からの点滴が禁止されている薬剤があったり、厳密に管理する必要がある点滴を使用する場合に使われます。

 

ちなみに、動脈圧ラインは通常は左右どちらかの手首の動脈に挿入されるカテーテルで、

一回一回血圧測定せずとも血圧値を把握することができたり、一回一回採血を行わなくても、採血ができる仕組みになっているカテーテルです。

 

胸腔と腹腔にドレーンが挿入されたのは、胸水や腹水がたくさん溜っていたためです。

ドレーンから余分な水を出すための管の役割になります。

 

こんなにたくさんの管を体のあちこちに入れられた状態、普段見慣れているはずなのに、

自分の家族が同じ状況だと、やはり不安になるものでした。

 

たくさんの処置を乗り越えた母は疲れ切っていて、話しかけても反応は薄めでした。

意識も朦朧としていて、衰弱していました。

日付も一日ずれていて、「やばいね、わたし」と切なそうに笑う。

頑張った母をただただ労うことしかできませんでした。

 

それからは毎日面会に行きました。仕事の前も、仕事の後も、休みの日も。

母は体調のムラがあり、相変わらず全身の浮腫は進行し、全身はだるそうなのに、

追い打ちをかけるように、嘔吐と下痢に襲われる毎日。

水も何も口から摂取できない日々。

ただベッドに横たわり、天井をみている毎日だったと思います。

ある日、ベッドに横になったまま、虚空を見つめている母に、何を考えているの?と何気なく聞いたことがありました。

 

「何も考えられない。生きているだけで精いっぱい」との答え。

 

何かを問うたり、答えを求めるのは酷なことだったと感じました。

ただ生きてそこに存在してくれさえすればいいのに。

入院して精いっぱいな日々、その日常に問いを投げかけるのは辛いことだったようです。

 

その言葉を聞いてから、こういう心の叫びを残さなければならないと感じました。

母が発する言葉や表情を目に焼き付け、記録に残さなきゃと思うようになっていました。

当時はA6の小さなメモ帳を持ち歩き、母の反応を書き留め、病院側から説明されたことや行われている治療なども記録していました。

すごいスピードで過ぎていく日々に少しでもついていくために無我夢中で書いていました。

この日々を何かに残さなかったら、誰の記憶にも何も残らない気がしたのです。

 

このブログはそれらのノートに書き殴られた日記のような書き留めをもとに、思い出しながら書いています。

 

そんな母も、少しずつICUで楽しみを見出していました。

たまたま、横の患者さんがボディクリームを塗った後でしょうか、隣室の私たちのもとに、

柑橘系の瑞々しい香りが迷い込んできたのです。

母の目が輝きました。フルーツの香りを嗅ぎたい!と。

 

ICUに生のフルーツを持ち込むなんて、しかも絶食中の患者に対して。

ダメ元で、看護師・医師に相談すると、食べちゃだめですからね!と念押しされつつも快く許可が下りました。

病院のコンビニに売られていた梨をゲットし、ICUへ搬入。

香りだけ楽しむ、表情が全然違いました。

食べられなくても、おいしい香りを嗅ぐだけで満たされることもある。

満たされるわけとは違うのかもしれないけど、気分転換にはなるのだと思いました。

 

それからの毎日は”今日の香り”を何にするかを決めて面会へ行くことに。

毎日異なる香りを準備するのは大変でしたが、あの頃の私はアドレナリン出まくりだったので、唯一の楽しみを奪うことはできないと必死に毎日準備しました。

 

次回からはICUでの日々を深堀りしていこうと思います。

 

では。