これまでのおさらい。お花見で久しぶりの外出、色のある世界に感動。
元々入院していた病院に戻るとはいえ、今回の転院で3回目。
約ひと月での再度転院となり、出戻りになった母。
前に診ていただいていた病棟へ戻ることになり、
人や環境に変わりのない病棟に安心しました。
当日は顔なじみの看護師や他スタッフが出迎えてくださいました。
転院前から大きな状態の変化はありませんでしたが、
ただここに居ていいという雰囲気を出してくれた温かい病棟に感謝しかありません。
もう戻らない意気で出ていったはずの病院。
すぐに戻ることになり、申し訳なさというか気落ちした部分も救われる気がしました。
主医師も「また立て直しましょう」と言ってくださり、前を向けたように思います。
検査転院は1歩進んで2歩下がった状態ではありましたが、
治療方針としては進展がありました。
転院先の大学病院での検査結果をから治療方針を再検討していくことになりました。
ここで一旦、この当時の母の状況をおさらいしてみます。
成人スティル病と診断後、消化器症状が出現して8か月経過。
原因不明の全身浮腫によりICUで1か月過ごしました。
あらゆる検査を行っても病名は不明で、3箇所の病院を経ます。
内視鏡検査やCT検査でわかっていることは小腸に広範の炎症や狭窄があること。
炎症が持続しており、”蛋白漏出性胃腸症”と呼ばれる病態を生じていました。
原因不明であり症状に対する治療がメインで、ステロイドやグロブリン・アルブミン製剤や輸血の投与、感染に対して抗生剤の投与が行われていました。
そして、腸炎に伴い下痢や嘔吐が続いており、制吐剤ではコントロールできない状態。
リハビリも進めることができず、ベッド上での生活が中心でした。
ほぼ寝たきりでおむつを装着して生活していました。
飲水や内服はできても、許された食事は具なしのスープ類やゼリーのみ。
首から挿入されたCVカテーテル(中心静脈カテーテル)から高カロリー輸液を投与して、栄養補給を行っている状態でした。
検査転院にて遺伝子検査で原発性免疫不全症候群の可能性が出てきました。
こうして書いてみるとわかるのですが、
この段階で核心に迫った治療は未だ行えていない状況でした。
これは、難病であるがゆえのことなのかなと思います。
原因不明である以上、下手に薬剤の投与を行えば副作用等のリスクが大きい場合もある。
症例数が少ないことにより、その副作用の出方さえも予測ができない。
つまり治療によってどうなるかという予想が難しいのです。
出ている症状に対して、それを軽減させる治療で精一杯というところ。
先生方も様々な文献を検索して、カンファレンスで検討して治療方針を決めるなど慎重に診療してくださっていました。
でも結果としては8か月間、何も進展はない状態が続いていました。
そうこうしている間に、病院前の桜並木にも桜が咲き始め、春がきました。
その頃、世間は新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言が出される少し前。
徐々に面会の制限が出始めていたものの、長期入院であることを考慮してくださり、
院内のお花見に行くことが許可されました。
担当看護師と主治医とともに車椅子で外へ。
私は外での合流となりました。
その日は風が強くて肌寒かったけど、晴れていてきれいな桜をみることができました。
「久しぶりに色のある世界をみた」って。
すごく名言的だけど、約1年も入院していて、しかも自由に外に出られる病状ではない母にとってはごく普通の感想だったのだろうなと思います。
私も久しぶりに何かきれいな景色を一緒にみて、
感想を共有できて嬉しかった憶えがあります。
一緒に道端を歩いたら経験できるような何気ない日常も、この1年で非日常となっていたので、それだけでも十分だと思えました。
治療としてはその後、少し前に進むことになり、
新たな治療が開始されることになりました。
次回はその治療についてお話していきたいと思います。
お読みいただいた方、ありがとうございました。
では。