背水の陣。未来ある道を進むべくセカンドオピニオンへ。
ここ数日Wi-Fiの調子が悪いことに加え、
自身の体調も優れず、更新が滞ってしまいました。
数日空いてしまいましたが、今回も書いていきたいと思います。
前回、転院してから約1年の検査や治療の経過について医師より説明を受け、
現状手立てがなくセカンドオピニオンの提案をされました。
母が入院していた病院は大学病院でしたが、大学病院だからといって、
完全な医療が受けられるわけではありません。
大学病院は研究機関としての役割も担っており、
その専門の研究が行われている病院であれば全国からも症例が集まりやすく、
治療経験も豊富となります。
しかし、全部の診療科や疾患が1つの病院で解決できることはほぼないです。
大学病院ごとに特色は異なりますし、強みとなる診療科も違います。
入院していた大学病院は母の疾患である、
”小腸炎”や”炎症性腸疾患”の診療に慣れているわけではありませんでした。
メインの科であるアレルギー科とともに消化器内科も診てくださってはいましたが、
治療の限界を迎えてしまったのです。
セカンドオピニオンを提案された大学病院は炎症性腸疾患の診療において、
日本トップレベルの病院とのこと。
そんな情報を聞くと、プラスな面も大きかったのですが、
前回の精査転院でネガティブな体験をしたこともあり、
”期待はしない”という気持ちもありました。
また、医師からはセカンドオピニオンを受けない場合、
この病院での診療の継続は困難であり、
元々入院していた地元の病院へ戻ることになるとも説明されました。
地元の病院で、新たな治療の可能性があるかといえば、、もちろんありません。
都内の大学病院に転院してきた理由は、地元の病院では手が追えなかったからです。
それなのに地元の病院に戻るという選択肢は、
ここで試合終了を意味すると思われました。
母は地元の病院へ戻ることをひどく恐れていました。
診療体制はもちろんですが、
この先に良くなる未来が見えなかったからではないかと思います。
結果はどうなるかわからないけれど、セカンドオピニオンを希望することにしました。
そこからは怒涛の日々で、セカンドオピニオン外来の申込書の記載や医師が作成した診療情報提供書をまとめて郵送。
申込書は病院のHPからダウンロード可能で、自身で準備する形でした。
診療情報提供書は検査結果も含めて、1㎝ほどの厚みがありました。
それに加えて画像検査のCDROMなどもあり、膨大な情報でした。
長期入院を物語るなぁとしみじみ感じた覚えがあります。
数日後、セカンドオピニオン外来事務局から電話が来て、日程の調整を行いました。
その病院は炎症性腸疾患で有名ということもあり、
予約も混んでいるようで、最短で2週間後の日にちになりました。
セカンドオピニオンの提案をされてから、3週間の出来事。
あっという間に過ぎていきました。
今回はセカンドオピニオンを受けるに至る経緯やその手続きについてお話させていただきました。
この頃の手帳を見返すと、真っ黒で、
母の手続き関連の予定や様々な調べものの書き込みばかり。
あの手帳を書いていたときの自分が、「この時大変だったよ!」と叫んでいました。
次回はセカンドオピニオンについての実際について書いていきたいと思っています。
中々定期的にアップすることができていない状況ですが、
細々と続けていきたいと思っています。
では。