あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

2022/8/1 【近況と母の再入院】

今回も訪れてくださった皆様、感謝いたします。

 

前回の更新が5月27日。

約2ヶ月空いての更新となってしまいました。

 

楽しみにするような内容のブログではないものの、

読者となってくださっている方がいること、

更新が滞ってしまっている中でも訪問してくださっていた方がいること、

感謝しかありません。

いつもありがとうございます。

 

 

ここで少し、最近の自分の話をさせてください。

更新が停滞してしまっていた理由や少し決意したことがあり、

この場で報告させていただきたいと思います。

 

この春、私は自分の中で大きな変化を迎えました。

母の長期入院や診断のつかない難病との付き合い。

2年間、自分の人生が止まったような感覚とともに、

この歳で母を失うかもしれないという抱えようのない恐怖がありました。

 

今後、看護師として働き続け、果たして家族のことや

自分のことを大切にした生き方ができるのか

という問いが心の中にあり続けました。

 

母は2年間の入院ののち、昨年の9月に自宅退院。

2022年になり自宅での生活も落ち着き、

私は2年間の中で浮かんできた問いと

真正面から向き合うことにしたのです。

 

年明けから数か月考えつつ、旅に出たりしつつ。

そこで出た答えは、病院の看護師を一旦離れてみるということでした。

 

いつまた平穏な日常が奪われるかわからない中で、

惰性で病院看護師を続けていてよいのかという思いが強く、

きっと、このまま働き続けて母にもしものことが

あったときに後悔すると思いました。

 

また、本編としてはこれから書く予定の部分でもありますが。

前回、前々回あたりで書いたセカンドオピニオンあたりでの主治医からの心無い言葉。

その日々の中で出会った難病相談員さんからの勇気づけられる言葉。

 

難病は治療法がなく、行き先のない不安との闘いです。

医療の専門家である現場の医師や看護師でさえ

わからないことがばかりなのです。

 

誰かに頼りたいのに頼れない。

根本的な治療が望めない中、生きる希望をくれたのは人の言葉でした。

 

自分に何ができるかわかりませんが、看護師として、希少難病患者の家族として

難病患者さんやその家族の抱える想いや悩み、

ぶつけようのないものを今度は自分が支えたいと思うようになりました。

 

そして、それは病院で行う実践的な看護というよりは、

相談に近い井戸端会議のような、ふらっと立ち寄れるような居場所を

作りたいと思ったのです。

患者会とも違う、そんな役割があったらなと感じたのです。

 

それに加えて、病院に勤めることへの不便さ。

介護休業の取得の難しさなどを実感。

 

そして、自宅の介護増改築を行い、兄とともに住宅ローンを組む経験をして、

自分で稼ぐ力を身に付けなくてはならないと思ったのです。

 

そして、どうなるかはまだわからないものの、

この春から看護師をしつつフリーランスとして働くための方法を学び始めました。

そんなこんながあり、中々こちらの更新に手が回らずにいました。

個人的な理由を言い訳にこの空間をおろそかにしてしまい申し訳ありません。

 

更新が停滞していたにも関わらず、訪問してくださっていた方がいたこと、

本当に感謝いたします。

 

上で述べたことは、ただの野望です。

実現できるかどうかはわからないのですが、

この経験を生かさないわけにはいかないと思ったのです。

私は、母の生き様から学ばなくてはならないと思っています。

 

長々と重い話をしてしまいましたが、ここ最近の出来事でした。

 

そして、なぜこのタイミングでブログに戻ってきたのかというと

タイトルの通り、先月末に母が再入院してしまったのです。

 

このブログも進めないと後から書くことが増えてきてしまうと思い、

早くリアルタイムのことを書けるように、

書き進めたいなと思い更新を再開しました。

 

過去と現在が入り混じってわかりにくくくなってしまう思うので、

近日中にタイトルを少し修正していこうと思っています。

それまで見づらいのですが、もうしばらくお待ちいただければと思います。

 

では、しばらくは現在の母の状況の更新となるかと思います。

またよろしくお願いいたします。