あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

書き続けるために。

読んでくださっている方、

今回初めてこの記事を目にされる方、

こうして訪れてくださりありがとうございます。

 

ブログを始めた2月、

母との闘病の日々を残していきたいと挑戦しました。

 

それから不定期ではあるものの、記事の更新を続けてきました。

この夏には再度入院になるなど、

過去記事が追いつかない日々になっていました。

 

続けられる方法を模索した結果、

noteという記事媒体で書き続けることにしました。

 

こちらで出会った方、はてなブログを読む場としていた方には

申し訳ないことになってしまったのですが、

 

自分が書き続けるためには慣れたプラットフォームを

使うことが望ましいと考え、この決断に至りました。

 

noteの方では、はてなブログで書いていた記事を

少し整えて投稿し始め、既存記事の投稿が終わり次第、

新しい記事の更新を進めてまいりたいと考えています。

 

もし、noteでも読んでくださるという方は訪れてくださったら

大変嬉しく思います。

ここでの皆さんの反応が嬉しく、更新する原動力となっていました。

改めて、感謝の言葉を伝えさせてください。

 

ありがとうございました。

 

引き続きよろしくお願いします。

 

https://note.com/sumomo_plum4

 

 

2022/8/1 【近況と母の再入院】

今回も訪れてくださった皆様、感謝いたします。

 

前回の更新が5月27日。

約2ヶ月空いての更新となってしまいました。

 

楽しみにするような内容のブログではないものの、

読者となってくださっている方がいること、

更新が滞ってしまっている中でも訪問してくださっていた方がいること、

感謝しかありません。

いつもありがとうございます。

 

 

ここで少し、最近の自分の話をさせてください。

更新が停滞してしまっていた理由や少し決意したことがあり、

この場で報告させていただきたいと思います。

 

この春、私は自分の中で大きな変化を迎えました。

母の長期入院や診断のつかない難病との付き合い。

2年間、自分の人生が止まったような感覚とともに、

この歳で母を失うかもしれないという抱えようのない恐怖がありました。

 

今後、看護師として働き続け、果たして家族のことや

自分のことを大切にした生き方ができるのか

という問いが心の中にあり続けました。

 

母は2年間の入院ののち、昨年の9月に自宅退院。

2022年になり自宅での生活も落ち着き、

私は2年間の中で浮かんできた問いと

真正面から向き合うことにしたのです。

 

年明けから数か月考えつつ、旅に出たりしつつ。

そこで出た答えは、病院の看護師を一旦離れてみるということでした。

 

いつまた平穏な日常が奪われるかわからない中で、

惰性で病院看護師を続けていてよいのかという思いが強く、

きっと、このまま働き続けて母にもしものことが

あったときに後悔すると思いました。

 

また、本編としてはこれから書く予定の部分でもありますが。

前回、前々回あたりで書いたセカンドオピニオンあたりでの主治医からの心無い言葉。

その日々の中で出会った難病相談員さんからの勇気づけられる言葉。

 

難病は治療法がなく、行き先のない不安との闘いです。

医療の専門家である現場の医師や看護師でさえ

わからないことがばかりなのです。

 

誰かに頼りたいのに頼れない。

根本的な治療が望めない中、生きる希望をくれたのは人の言葉でした。

 

自分に何ができるかわかりませんが、看護師として、希少難病患者の家族として

難病患者さんやその家族の抱える想いや悩み、

ぶつけようのないものを今度は自分が支えたいと思うようになりました。

 

そして、それは病院で行う実践的な看護というよりは、

相談に近い井戸端会議のような、ふらっと立ち寄れるような居場所を

作りたいと思ったのです。

患者会とも違う、そんな役割があったらなと感じたのです。

 

それに加えて、病院に勤めることへの不便さ。

介護休業の取得の難しさなどを実感。

 

そして、自宅の介護増改築を行い、兄とともに住宅ローンを組む経験をして、

自分で稼ぐ力を身に付けなくてはならないと思ったのです。

 

そして、どうなるかはまだわからないものの、

この春から看護師をしつつフリーランスとして働くための方法を学び始めました。

そんなこんながあり、中々こちらの更新に手が回らずにいました。

個人的な理由を言い訳にこの空間をおろそかにしてしまい申し訳ありません。

 

更新が停滞していたにも関わらず、訪問してくださっていた方がいたこと、

本当に感謝いたします。

 

上で述べたことは、ただの野望です。

実現できるかどうかはわからないのですが、

この経験を生かさないわけにはいかないと思ったのです。

私は、母の生き様から学ばなくてはならないと思っています。

 

長々と重い話をしてしまいましたが、ここ最近の出来事でした。

 

そして、なぜこのタイミングでブログに戻ってきたのかというと

タイトルの通り、先月末に母が再入院してしまったのです。

 

このブログも進めないと後から書くことが増えてきてしまうと思い、

早くリアルタイムのことを書けるように、

書き進めたいなと思い更新を再開しました。

 

過去と現在が入り混じってわかりにくくくなってしまう思うので、

近日中にタイトルを少し修正していこうと思っています。

それまで見づらいのですが、もうしばらくお待ちいただければと思います。

 

では、しばらくは現在の母の状況の更新となるかと思います。

またよろしくお願いいたします。

セカンドオピニオンは”挑戦の証”

今回は、セカンドオピニオンを受けてみて思ったことや

考えたことを書いていきたいと思います。

 

基本的にセカンドオピニオンは本人が受けることになっていますよね。

家族が行く場合でも委任状が必要など、

まだまだ厳しいところがあるなと感じます。

入院中で行けない方も結構多いのではないかと思います。

 

コロナによってオンライン化が進んだ世の中ですから、

融通が利くようになるといいなと思ったりもします。

 

やはり本人と医師が直接話すことって大切だと思うのです。

代理人では伝えきれない思いなどがあると思うからです。

 

 

そして看護師である私にとって、この経験をするまでは

セカンドオピニオン」というワードは

どこか非現実的なものでした。

 

医療者なのに?と思いますが、

関わりの少ない分野に関しては

無知なことも多いのが現状です。

「そういうのが今の医療の主流」という感じで、

恥ずかしいことにどこか他人事に思ってきた部分がありました。

 

今回の経験によって、たくさんのことに気が付き学ぶことに繋がりました。

 

セカンドオピニオンは”挑戦の証”だということです。

人それぞれ色々な捉え方があると思いますが、

母と私にとっては、開拓の一手でした。

 

やってみないとわからない、聞いてみないとわからないことは、

聞いてみないとわからないのです。

 

自分の病院にセカンドオピニオンとして

受診されてくる方を目にすると、

今はそっと心の中で健闘を祈るようになりました。

 

これから受ける方、考えている方、

そっと応援しています。

結果がどうであれ、行動した自分を、

自分たちを認めてあげてくださいね。

 

セカンドオピニオンからの学びは、

家族としても看護師としても大きいものでした。

 

この時期の母は、”口から食べるようになる”ことを大切にしていました。

セカンドオピニオン結果は根本的な解決に至るものではなく、

母も私もまだあきらめられない部分がありました。

 

他に何か方法があるのではないかと思う日々。

探せばあるだろうという期待。

 

それからの日々は少し辛いものなるのですが、

人の冷たさや温かさを知る経験となりました。

 

次回は、1回目のセカンドオピニオンを終えての病院の変化や、

2回目のセカンドオピニオンに至るまでをお話していきたいと思います。

 

少しずつ更新していきたいと思っています。

そっと読んでくださっている方、

初めての方にとっても、何かになればと思います。

ありがとうございました。

セカンドオピニオンで語られたこと。

前回の更新からなんと、43日経過していました。

一か月以上経過していたことに驚いています。

少し環境の変化もあり、滞ってしまっていました。

 

少しずつ、また投稿を再開していきたいと思います。

また、よろしくお願いします。

 

 

前回の投稿ではセカンドオピニオンを受けるにあたって自分が準備したことを中心に書いたので、今回は実際の面談内容について書ける範囲で書いていきます。

 

 

セカンドオピニオンを受けた病院ではカンファレンスで検討してくださり、

文献を検索し候補として考えられる病名があると。

でも、”候補”であることは変わりない。

確定診断ではないが、状況として最も考えられるもの。

 

この疾患と仮定して、治療としては全4段階あるうち、

現在3段階まできている。

とても難しい状況にあることがわかった。

 

日本国内での報告は数年前に数件。

世界で検索しても、数件。

 

本当にこの病気なのかな、という思いと文献の内容をみると酷似していて、

からしいという思いもあった。

 

軽症であれば、第一段階で日常生活に困ることがないくらには回復するらしい。

それが、第3段階に突入しており、”難治性”であることがわかった。

現在入院している病院での治療も、最善が尽くされているという判断。

 

説明を聞き逃すまいと、考えてきた質問についてもほとんど答えていただいた。

これ以上の薬物治療はないこと、小腸移植も適応ではないこと、第4段階の治療が効かなければ、相当難しい状況になる。

つまり、命に関わるという説明を受けた。

 

とても熱心に言葉を伝えてくださったその先生には感謝しかない。

しかし、肝心な転院治療は病院として難しいという判断になると。

 

ここまで詳しく検討してくれる炎症性腸疾患の診療も得意なら診ていただきたかった。

 

でも、転院には大きな壁があった。

母の状態を考えると長期入院が必要なことはわかっていたし、

受けている治療は、病院側にも大きい負担になるという問題があった。

 

仕方のないこと。

可能性のある疾患やその治療法を教えていただけただけでよかった。

そんなこんなで通算二回目のセカンドオピニオンは終わりました。

 

今回はセカンドオピニオンでの実際のやりとりを話せる範囲で書いていきました。

次回はセカンドオピニオンを受けて考えたことを書いていきたいと思っています。

お読みいただいた方、本当にありがとうございました。

お立ち寄りいただいた方、ありがとうございました。

 

ゆっくり、ゆっくり書いていきたいと思います。

 

では。

 

期待せず、希望は失くさないように。

迎えた当日。

入院中の母は病院でお留守番です。

 

セカンドオピニオンは基本的には患者本人が聞きに行くものですが、

入院中などで本人が行くことが難しい場合は、

家族やその代わりとなる人が代理で聞くことができます。

 

私は期待せず、でも希望だけは失くさないようにと、病院へ向かいました。

 

予約は確か10時とか11時くらいだったのですが、

予約確認の手続きのため、1時間前には病院に着きました。

送られてきた案内をもとに院内を散策。

改築中だったこともあり、院内は迷路な感じ。

大きい病院てわかりにくいですよね。

案内はたくさんあるけど、たくさん過ぎて逆に迷ってしまう現象(笑)

 

遅れたら大変なので、案内のお姉さんに助けていただきました。

受付で予約票を渡し、待合で待機。

 

時間通りに面談室へ案内されました。

少しして、40歳代くらいの中堅の医師が現れました。

 

時間は30分までで2万2000円。

それ以上は15分毎に1万1000円。

本当に高い!しかもこれは医療保険外なので全額実費です。

ただでさえ医療費がかかる状況では大変な痛手ですよね。

 

 

限られた時間を無駄にしないようにと、

事前に聞きたいことリストを作っていきました。

これは本当にやってよかったです。

セカンドオピニオンの枠は時間が短いですし、高価です。

せっかくの機会を無駄にしないための下準備は非常に大切だと思います。

まずは、元々のかかりつけの医師から受けている説明についてのその先生の見解であったり、一般的に他に考えらる治療があればそれについての意見を聞いたり。

難病で確定診断がついていない場合には、他に考えられる疾患の候補だったり。

それぞれの治療についても行う、行わないのメリットとデメリットを確認する。

この病院だったら実際に診療するとしたらどのような治療や検査を行うことになるか。

など、聞いておいて損なことはありません。

それに上記のように難しいことでなくてもよいのです。

単純に聞きたいことでも。

 

実際、セカンドオピニオン前に母に聞きたいことを確認したときも、

「とくにない。思い浮かばない。治療法があれば教えてほしい」でした。

シンプルなんですよね。

 

私は母の代弁者となり、母の思いも伝えるように意識しました。

意思が確認できる状態であれば、本人の意思をきちんと確認する。

意思確認が難しい場合もあるかと思いますので、

自分がもつ情報から推測できること、

その人だったら何を望むかなどを想像して考えてみるのもよいと思います。

 

 

セカンドオピニオンは先生側からの説明だけでもある程度の時間を要します。

その中で事前に考えてきた質問を確認したり、

その場の説明から思い浮かんだことを聞いたりしていると、

あっという間に時間が経ってしまいます。

 

こちらの先生はそのような状況に配慮してくださり、

事前に説明する用の紙を用意してくださっていました。

 

こちらの病院ではセカンドオピニオン外来の症例も該当科のカンファレンスで検討してくれるらしく、

担当医師の独断ではなく科としての総合的な判断を聞くことができました。

 

令和4年の3月現在で、私は計3か所のセカンドオピニオン外来に行きましたが、

事前に情報を確認し話す内容を準備してくれていたのはこの病院だけでした。

他の病院は診療情報提供書を当日に持っていくスタイルであったため、

その日の外来担当が当日受け取った情報を確認して、面談をするという形でした。

医師から聞かれたらさらに詳しく経過を説明する必要があり、

時間がなくなり、本質的な話をできたのはほんの少しだったように思います。

 

 

本当は実際の内容を書く回にしようと思っていたのですが、

前段階が長くなってしまったので、一度切ろうと思います。

今回はセカンドオピニオンを受けるにあたり、

自分が準備したことや実際に聞いたことを抽象的ではありますが書いてみました。

 

セカンドオピニオンを受けようか迷っている方やこれから受けるけど準備が不安という方に届いたらと思います。

次回はいよいよ、実際話した内容について少し深堀りしていきたいと考えています。

 

今回もお読みいただいた方、またそうでない方もありがとうございました。

 

では。

背水の陣。未来ある道を進むべくセカンドオピニオンへ。

ここ数日Wi-Fiの調子が悪いことに加え、

自身の体調も優れず、更新が滞ってしまいました。

数日空いてしまいましたが、今回も書いていきたいと思います。

 

 

前回、転院してから約1年の検査や治療の経過について医師より説明を受け、

現状手立てがなくセカンドオピニオンの提案をされました。

 

母が入院していた病院は大学病院でしたが、大学病院だからといって、

完全な医療が受けられるわけではありません。

大学病院は研究機関としての役割も担っており、

その専門の研究が行われている病院であれば全国からも症例が集まりやすく、

治療経験も豊富となります。

しかし、全部の診療科や疾患が1つの病院で解決できることはほぼないです。

大学病院ごとに特色は異なりますし、強みとなる診療科も違います。

 

入院していた大学病院は母の疾患である、

”小腸炎”や”炎症性腸疾患”の診療に慣れているわけではありませんでした。

メインの科であるアレルギー科とともに消化器内科も診てくださってはいましたが、

治療の限界を迎えてしまったのです。

 

セカンドオピニオンを提案された大学病院は炎症性腸疾患の診療において、

日本トップレベルの病院とのこと。

そんな情報を聞くと、プラスな面も大きかったのですが、

前回の精査転院でネガティブな体験をしたこともあり、

”期待はしない”という気持ちもありました。

 

また、医師からはセカンドオピニオンを受けない場合、

この病院での診療の継続は困難であり、

元々入院していた地元の病院へ戻ることになるとも説明されました。

 

地元の病院で、新たな治療の可能性があるかといえば、、もちろんありません。

都内の大学病院に転院してきた理由は、地元の病院では手が追えなかったからです。

それなのに地元の病院に戻るという選択肢は、

ここで試合終了を意味すると思われました。

 

母は地元の病院へ戻ることをひどく恐れていました。

診療体制はもちろんですが、

この先に良くなる未来が見えなかったからではないかと思います。

 

結果はどうなるかわからないけれど、セカンドオピニオンを希望することにしました。

 

そこからは怒涛の日々で、セカンドオピニオン外来の申込書の記載や医師が作成した診療情報提供書をまとめて郵送。

申込書は病院のHPからダウンロード可能で、自身で準備する形でした。

診療情報提供書は検査結果も含めて、1㎝ほどの厚みがありました。

それに加えて画像検査のCDROMなどもあり、膨大な情報でした。

長期入院を物語るなぁとしみじみ感じた覚えがあります。

 

数日後、セカンドオピニオン外来事務局から電話が来て、日程の調整を行いました。

その病院は炎症性腸疾患で有名ということもあり、

予約も混んでいるようで、最短で2週間後の日にちになりました。

 

セカンドオピニオンの提案をされてから、3週間の出来事。

あっという間に過ぎていきました。

 

今回はセカンドオピニオンを受けるに至る経緯やその手続きについてお話させていただきました。

この頃の手帳を見返すと、真っ黒で、

母の手続き関連の予定や様々な調べものの書き込みばかり。

あの手帳を書いていたときの自分が、「この時大変だったよ!」と叫んでいました。

 

次回はセカンドオピニオンについての実際について書いていきたいと思っています。

 

 

中々定期的にアップすることができていない状況ですが、

細々と続けていきたいと思っています。

では。

次の一手がない。セカンドオピニオンの勧め。

最初の入院をしてから1年が経過。

あっという間でした。

まさか、初めの入院時にこんなに長く入院するなんて誰も想像していませんでした。

 

この頃の母からのLINE報告を読み返すと、

体調の良い日に入院後初のシャワー浴に入ったことが報告されていました。

首から中心静脈カテーテル(CV)が挿入されており、

感染予防のために湯船につかることはできません。

何より自分で自由に動くことができず、介助が必要であったため、

シャワー浴でさえ入ることができない状況でした。

 

1年間も清拭(ベッド上で看護師に体を拭かれる)だけなんて、、、

想像するだけでしんどいですよね。

人それぞれに優先順位は異なるとは思うのですが。

清潔を保つということは、生きることにおいて必要不可欠だと思います。

手洗いもろくにできない状況や、お風呂やシャワーに入れず、

表面的に体を拭いて着替える毎日を想像してみてください。

何日間耐えられるでしょうか。

 

私はお風呂が大好きで、日ごろから30分は入っているので、

3日もしたら我慢できなくなってしまうかもしれないです。

いつ入院してもいいように日ごろからお風呂は堪能しておかなくては(笑)

 

お風呂に限りませんが、突然に自分が何かできなくなることを想定して生きている人ってそう多くはないと思うのですが、

その突然て本当に突然に訪れるので、備えるのは難しいですよね。

いつなんどきどうなるかわからない。

自分の考え方の根底にこれがあるようになりました。

そんな小噺はさておき。

 

前回の続き、レミケード開始後も効果は振るわず、

今後の方針について医師から説明を受けることになったのでした。

 

実際に母と面会するというのは4月の緊急事態宣言以降は初で、

実に6か月ぶりでした!

病院は全面的に面会禁止であるところがほとんどであり、仕方ないのですが。

半年も会っていなかったことに驚きました。

定期的にオンライン面会や電話をしていたせいか、

そんなに期間が空いた気はありませんでした。

 

久しぶりの再会も束の間、ぞろぞろと部屋に入ってくる医療者団。

医師だけでも4人くらい、看護師も含めて5人ほど同席していました。

 

最初の入院からの経過や近隣の大学病院への検査転院を経て得られた診断について、

そして戻ってきてから始めた免疫抑制剤や生物学的製剤の治療効果について話を受けました。

 

 

最初に成人スティル病との診断で治療を行ってきたが、

主な症状が小腸炎となっており、今は成人スティル病ではないと考えていること。

そして、転院後の遺伝子検査で発覚した原発性免疫不全症候群。

免疫不全を背景とした炎症性腸疾患に準じて新たな薬物投与を始め、

半年経過するが大きな改善を認めていないこと。

アルブミンの投与量は減り、経口摂取も可能になったが、

根本的な解決に至っていない。

レミケードの反応があまり良くないこともあり、

免疫抑制剤・分子標的薬である「ゼルヤンツ」も試してみたが、

効果は全くなく、むしろ状態が悪化した。

ここまで、可能な限りの検査と治療を行ってきたが、次の一手がない状態である。

腸炎の治療に精通している病院へのセカンドオピニオンを勧めたい。

 

 

 

とのお話でした。

 

これまでも様々な治療の提案されるたびに、

まだ道はあると思って明るい未来を描いて過ごしていました。

でも、自分の心の中では少しずつ、難しい状況になってきていることを感じていたようにも思います。

先生から明確にお手上げ宣言をされ、少し楽観視していた現実が重みを帯びて、

紛らわしていたこれまでの不安が一気に押し寄せてきました。

先がみえなくなったと同時に、セカンドオピニオンという曖昧な光も手に入れた。

そんなような不安定な心境でした。

 

 

今回は新たな局面を迎えることになったあの日を中心に書かせていただきました。

次回はセカンドオピニオンに関することやそれらに関して感じたことなどを書いていきたいと考えています。

 

いつもお読みいただいている方、初めて読んで下さった方もありがとうございます。

これは母の2年間の入院の出来事の記録であり、自分の気持ちの振り返りでもあり、

そして、今何かの苦難に向かっている方のために書き始めたものです。

何かが伝わっていたら嬉しく思います。

 

では。