関東横断、救急車で大移動。ショック状態でICUへ。
救急車での搬送、朝9時に病院を出発しました。
医師付き添いのもと、はるばる都内の病院へ向かいました。
道をあけるサイレン。
焦燥感にかられる音。
今この車内で急変したら、自分は母を救えるのか。なんて考えたりしながら。
普段、病院という整った環境で患者を看ている分、自分の無力さを痛感しました。
地域の総合病院に入院してひと月、一度も帰宅できないまま都内へ。
東京へ向かう途中、家の近くの道路を通った時は切なかったな。
2時間半くらいかけて無事に東京へ到着。
これから良くなるって思って、期待で胸が膨らむってこんな感じか。
大学病院だもの、すぐに原因みつけて、治療してくれるだろうと。
こういう時ってなぜか期待の方が大きくなってしまったりしますよね。
人間らしいなと思います。
都内の大学病院の大きさに気後れしながら、アレルギー科の新しい医師に挨拶。
年配のベテラン先生、と若い研修医が数人。
小腸炎なのになんでアレルギー科かというと、成人スチル病の名残で主科がリウマチ科だったこともあり、そこからの転院調整となったためなのです。
入院したら、一斉に検査が始まりました。
いったい何㏄の採血だろう。
一通りの状態が整ったところで、私は医師からの説明のため別室へ。
現状、病態の全体像を捉えられていない。
これまでに行われていない検査を進めるとともに、対症療法を行いながら全身状態の安定化を図ることとなりました。
敗血症に対する抗生剤投与、アルブミンの投与は継続され、昇圧剤の投与も始まりました。
敗血症とは、感染の元となる菌に自分の免疫機能では勝つことができず、全身に感染が回った状態のことをいいます。
敗血症は悪化すると、血圧低下や呼吸不全などのショックを引き起こす、生命を脅かす病態です。
母の場合は軽いショック状態であり、点滴を行いつつ血圧安定のために昇圧剤が使われました。
昇圧剤というのは、ざっくりと説明すると血圧が低かったり、心機能が低く循環が不安定なときに使用する薬剤です。
様々な要因が重なって、自分の力では維持できなくなった血圧を保つように働きます。
すごく重症になると昇圧剤の量も多くなり、効きにくい状態になってしまうのですが、
幸い母は薬への反応は良く、少しずつ状態が整っていきました。
母の身の周りのこと、医師からの説明や看護師からの説明、同意書の記載や研究関係の説明、入院手続きなどをしていたら、一日はあっという間で。
外は真っ暗、20時を回っていました。
翌日は少しゆっくりしてから面会に行こうと家でのんびりしていたら、
見たことのない03---からの着信、まどろんでいた全身がゾワリとしました。
血圧が不安定な状態が続いていること、感染を落ち着かせるためにグロブリン療法を始めるため、管理が厳密なICUへ移動となることを告げられました。
悠長に過ごしていられないと、すぐに準備して病院に向かいました。
自宅からは片道1時間程度かかります。
着いたときには、昨日の入ったはずの部屋は蛻のカラとなっていました。
母は一足先に移動したとのこと、部屋に残された荷物をまとめて、ICUへ向かいました。
今回はここまで。
次回はICU入室後のお話をしていきたいと思います。
ちょっとした小噺で、大量免疫グロブリン療法(IVIg)について。
免疫グロブリンとは数種類あり、誰の体にも備わっている免疫機構です。
元気な人間は、感染症が起こると、自身の免疫系が働き、闘ってくれます。
母の場合は、感染症が重症化しておりグロブリンという免疫系を担う物質が不足している状態で、感染症と闘う余力がない状態でした。
そのため、グロブリンを体外から補充する治療が必要になりました。
そこで行われたのが、免疫グロブリン療法です。
通常は5日間かけて投与していきます。
診療報酬上、IVIgの適応疾患や病態は決まっていますが、感染症に対しては臨床的に必要性があれば使用することがあります。
抗生剤だけでは菌と闘えない状態のときに、追い風になる治療ですね。
神経難病系の多くで効果のある治療として保険適応となっていますが、詳しくは割愛させていただきますね。
簡単ではありますが、免疫グロブリン療法の説明でした。
では。