あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

「ここ数日が山場です」と言われて。

再入院で発覚した小腸炎

絶食と点滴で一時的に体調は改善したものの、原因不明のまま。

 

入院10日後には嘔気・嘔吐、食思不振が再燃。

面会時にだるそうに、でもなんとか壁をつたってトイレに行く母。

よくなることを願って、病院をあとにしました。

 

その数日後、朝から連絡がない。返信がないことを心配に思っていました。

その日の夜、仕事終わりにスマホを確認すると病院から3回の不在着信。

おそるおそる折り返しをしました。

 

医師から告げられたこと。

嘔気・嘔吐、下痢が止まらず、体動が困難となっている。

全身状態の安定のため、連日血液製剤を使用しているが思うように改善していない。

上下内視鏡、生検や造影CT検査、細菌やウイルスの検査、膠原病関連の採血検査等、

あらゆる検査を行っても、原因が特定できない。

原因がわからないことには、有効な治療が行えない。

「ここ数日が山場かもしれません」

 

その時の胸のバクバク感、どうなっているの?何が起こっている?という混乱。

あの夜感じた感情は今でも忘れられない。

 

 

当時の私は、自分の家のことで仕事に迷惑がかかってしまうという思いが強く、

上司にも何かあったときにはお願いしますという言い方しかできなかった。

本当は休んでいいよ、家族を優先してって言ってほしかったんだと思う。

でも、社会人4年目の私は言えなくて、その次の日も夜勤に出勤した。

 

師長さんが声をかけてくれた。

「家族を優先しなさい。仕事なんてどうにでもなるから」

誰かに言ってほしかった言葉。職場であんなに泣いたの初めてだったな。

ああ、今でもこうやって書いてると涙が出てくる。

あのときのこと、今でも思い出せるし、きっとこの先も思い出す。

 

大変なことなのに、渦中にいすぎて判別できていなかった。

どうにか仕事と家族のことを両立しなきゃと思っていた。

でもそんなことないって自分じゃない誰かに言ってもらう必要があったのだと思う。

 

 

すぐに帰省準備をして、母のもとに向かいました。

 

母は大部屋から処置室に移されていました。

処置室は一般病棟の中でも少し重症だったり、手のかかる患者さんが入室するお部屋。

 

5日ぶりの母は変わり果てた姿でした。

全身の浮腫みがひどく、1週間弱で10㎏の増加。

腹水、胸水の貯留が止まらず、2日おきに1000ml抜いているとのこと。

連日、輸血やアルブミンの投与を行ってもアルブミンの値が維持できていない。

集中治療分野で働いてきた私にも、初めての経過。

 

主治医は淡々と、そして悔しさをにじませながら熱を秘めたまなざしで話してくれました。

「この病院で行える検査はし尽しました。できうる最大限の治療を行っても、状態は悪化していると言わざるをえません。残された道はここでがんばるか、大学病院への転院かと思います。」

 

どんな闘いになるかわからないけど、残る選択をしても何も変わらない。

母は「生きる方法が残されているのなら、転院したいです」

そう答えました。

 

この話を受けてから1週間で、大学病院への転院が決まりました。

 

 

次回からは大学病院で始まる治療の日々をお伝えしていきたいと思います。

 

領域関係なく難病で困っている方、情報を知りたい方などいらっしゃいましたら、気兼ねなくコメントください。

 

では。