”非特異性多発性小腸潰瘍症”という遺伝子疾患。
すぐに訪れた2回目のICU入室。
どこか慣れた様子で日々を過ごしている様子でした。
そんなある日、医師から”遺伝性の小腸疾患”の可能性があることを伝えられました。
非特異性多発性小腸潰瘍症という疾患。
母の家系図を紐解いていくことに。
”遺伝子疾患”という言葉の持つ暴力性。
過去も未来も揺るがしかねないこの言葉にみんな動揺しました。
母の両親やそのまた両親のそれぞれの両親が患った病気などを遡りました。
祖母に確認したときには、自分の責任なのではないかとこわばる声と少しの焦り。
母は自分の責任で子供やその先の子孫にも影響を与えてしまうのではないかと自責。
それぞれがそれぞれの立場で思い悩むことになりました。
遺伝子検査は研究班のある他の大学病院で行われました。
最初の入院から原因がわからないまま経過した2か月、やっとこの状態に診断がつくかもしれないという期待。
そして、遺伝子疾患が確定するという可能性。
その事実が持つ絶望感と未来を悲嘆する気持ち。
遺伝子疾患の可能性が告げられたとき、正直自分もなるのかもしれない
という自己防衛の気持ちとその可能性と対峙している母を居たたまれなく思う気持ちとが交じり合った。
自己の基盤が揺らぐような、そんな感覚でした。
病気になったわけではないけど、いずれなる可能性があることを抱えて生きていくことの恐怖、目の前には姿を現してはいない絶望。
その責任の所在を明らかにすることは、倫理的ではないと正義を持ち出す偽善性。
結果は該当しませんでした。
安堵とともに、振り出しに戻ったことに落胆しました。
今まで目まぐるしく頭を巡った思考からの解放。
悪いことってどこまでも想像できてします。人間の持つ想像力はある意味すごい。
起こっていないことを心配しすぎることはないのかもしれない。
事態が起こってから心配する、考えるでも間に合うことがほとんどなのかもしれません。
その時その時の状況によって、人は考えが変わるものです。
その時の思考に振り回されるのは疲れてしまうと思います。
そうやって割り切れたら少しは楽なんでしょうね。
今回はそんな遺伝子疾患で感じたことをありのままに書いてみました。
読んでくださった方がいたら、嬉しく思います。
ありがとうございました。
では。