あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

闘病する母との喧嘩と自己嫌悪。

経口摂取を始めてほどなくして絶飲食へ戻ってしまいました。

感染の原因を探りましたが、小腸炎の悪化ではありませんでした。

やはり、感染源として疑われるのは”CVカテーテル”。

これまでにも何度も入れ替えをしてきましたが、今回も同様に。

 

一般病棟では、状態を考慮して個室へ入室していました。

多いときは1時間に2回くらい排便があったように思います。

当時はベッド上から動くこともできないくらいに、身体機能が落ちていたので、

50歳代の母ですが、常時おむつを装着していました。

おむつを付けているだけでも嫌なのに、便意を催してナースコールを押してからでは間に合わないこともありました。

看護師を呼んでも中々来てもらえず、おむつの中に便があるままの状態でいたりと。

 

看護師の自分としては、他の患者さんとの業務の兼ね合いもありコールがあってもすぐにいけないことがある事情をわかってしまい、複雑な気持ちになりました。

普通の医療者じゃない家族だったら、それはおかしいとか言ったりするのかな?

もっと患者本人側の立場に立って物事を捉えられたのかもなと思いました。

両者の立場にも立ててしまうこと、

「あんたは患者家族しててじゃなくて看護師としてしか私をみてない」

そう言われたとき、とても悲しくなったのを憶えています。

そういった小さな歪が日々に生じ始めていました。

 

大学病院に転院して約2か月間、毎日面会に行き、お話を聞いたり、退屈しのぎの差し入れを持って行く日々。

少しずつ状況が落ち着く中で、毎日自分の時間が奪われている、というような気持ちが芽生え始めていました。

母は入院してテレビを観たり、本を読んだり自由な時間があるのにと。

 

面会時間が少し遅れてしまったり、差し入れを準備できなかったり。

それを母に責められると、責めている気はなかったのかもしれませんが、

残念がる姿をみると、入院している家族も支えられないのかと自己嫌悪に陥ったり。

母と言い合いになることも増えました。

 

そんな日の帰り道は、優しくできなかった自分を責めたり、この先いつ母がいなくなるかもわからないのに、こんなひどい会話をして別れてきてしまったなとか、

ネガティブな感情に包まれていました。

あの時の自分は物事の中心に自分を置きすぎていたように思います。

何でも自分がやる、自分がやらねばならない、と。

確かに、やらなくてはならないこともあると思いますが、ずっと肩に力が入っている状態では、自分もそして関わる相手へも優しさを失ってしまう。

どうしたらよいかわからないときって、不安になってしまって、

できることはなんでもやらなくては、という気持ちになったりしますよね。

 

でも、やりすぎて周りが見えなくなるとどんどん自分を追いつめてしまうものです。

気持ちも切羽詰まった日常もすこし緩ませる必要がありました。

 

それからは面会の頻度を落として、一日置きくらいを目安に面会にいきました。

母との距離も近くなってしまっており、それも関係や状況を悪くさせていたんだと思います。

 

程よい距離感を保つようにしてからは、自分にも気持ちの余裕が生まれて、母を大切にできるようになっていきました。

 

今このような状況にある方にとって少し自分を大切に思えるきっかけになればと思います。

 

今回は自分目線での闘病を支えてきて思ったことを中心に書いてみました。

 

では。