あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

【今日だけ】今日の私のためのブログ。

前回の続きと思って訪れてくださった方、大変申し訳ありません。

今日は今の自分に向けて送るブログを挟みます。

これは書かないとならない緊急事態でした。

 

 

書く術、というほどきちんとしたものではないけど、

書くということが習慣になった今、自分無敵。

140字では収まらない事案が発生し、こちらに移ってきた。

 

「自分を犠牲にしているようにみえる。自分の人生を大切にしてほしい」

 

この言葉にほんっとうにモヤっとした!!!

 

私の何がわかるのよって。

障害や病気を持っている家族をサポートするってなると、

物理的に時間とかお金の負担が生じるのは当たり前で、

最初はそれを担うしかなかった。

だから、犠牲にしてるって感じてストレスに思ったり、

同年代の自由で夢のある(ようにみえる)生き方を見て、

比べて自分の人生に絶望して泣いた日々だってあるわい。

 

でも、そういう日々の中でも、病気の母が生きている奇跡を感じたり、

いなくなったあとの世界を考えて悲嘆に暮れたりしながら、

何気ない日常や生きていることに感謝できるようになってきた。

 

そういうたくさんの物語があって、自分の人生の中に母の人生が入ってきているの。

ただ単に自分の人生を犠牲にして生きているわけではないのです。

 

そういう経験から、他のケアラーさんたちの存在に目が向いて、

自分だけじゃないんだって思って。

葛藤があるのは当り前でみんなどうやって消化して生きているのかとか考えて、

自分に反映させてる。

経験したことを生かして何か社会に貢献できないかなって思ったり。

エネルギーのあるケアラーさんにはDMしたりして、直接関わっていって、

今となってはすごくいい出会いにつながった。

ケアラーの団体のオンライン会に参加して、みんなの悩みを共有したりして。

 

みんな抱えている問題は違って、いや似ている状況もあるけど、家族背景とか家族の凝集性とか、マンパワー、経済力、地域の社会資源のレベルなどミリ単位では異なる。

ケアの対象に愛を持てる場合もあれば、本当に仕方なくて愛を持てない場合だってある。

そういうのもすべてひっくるめて、みんな生きようとしていると思うのよね。

 

外部の人間が勝手に一部を覗いて、わかったようにありきたりな簡単な言葉で評価するのは悲しすぎた。

これは主観なんですけど、犠牲にしてるっていうのは本人だけが言っていい言葉だと思っていて。他の誰かがあなた人生犠牲にしているよねって、言っていいことないと思うんです。

 

これは書かずにはいられなかった。

書くってだけで自分が救われている。

 

こういうダークな気持ち口に出しにくいけど、

文字に起こすって動作だと緩和されてる。

口に出すとっていう日本のあれがあるからかな。

 

 

はあ~すっきり。

めっちゃ空気吸えるようになった。

 

家族のサポートしたり、医療費全般・障害年金全般の手続き、治療の方針とかを担う、

20代のケアラーってまだまだ社会ではマイノリティだと感じるし、

適切に理解されていない分、悔しい思いもする。

 

そんな少し重い気持ちの時に支えてくれているアーティストを紹介したい。

「mol-74(モルカルマイナスナナジュウヨン)」。

 

 

これは新曲のレビューとして書きたかったけど、

「失くした分だけ拾った 想いを失くさないように」

ってフレーズを今伝えたい。

 

最新曲の「Renew」。

 

これまでの時間をすべて肯定してくれているなって感じる。

 

失くしたこともあるだろうけど、見失ったりすることもあったと思うけど、

その時の大切な想いは忘れないでねって。

全部失っているわけではないんだって思わせてくれる。

 

この楽曲の全体通して、闇の中にいる人も抜けた人にも届く詩だと思う。

もし気になったりしたら本当に聴いてみてほしい。

ファンだからっていうのはもちろんあるんだけど、救われる人がいると思うから。

 

結局今日言いたかったことは、自分は今は人生犠牲にしていないってことと、

mol-74を聴いてほしいということ。

1,500字超えてしまったよ!一生Twitter攻略できない。

 

では。