あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

家族で過ごす病院クリスマス。

大学病院へ転院してから、4か月。

遺伝子検査や各種抗体検査を行っても目ぼしい原因や疾患の診断ができない状態が続いていました。

 

できる限りの治療と検査を行っても進展がない状況に、

主治医から炎症性腸疾患を得意とする近隣の大学病院への検査転院を提案されました。

 

初期から比べれば、全身のむくみは明らかに改善していましたが、

嘔吐や下痢の原因の”小腸炎”は一向に改善はなく経口摂取はできないままでした。

”口から食べられるようになりたい”と強く願っていた母は検査転院を希望しました。

 

 

12月25日。

東京に祖母がやってきました。

夏に入院してから初めての面会です。

本当は地元の病院にいたときに面会させてあげられたらよかったのですが、

当時は状態が悪すぎて、母と相談してもう少し良くなったらにしようと先延ばしにしてしまっていました。

結果として、良くなったらがいつまでも来なくて、

転院の前に面会をすることになりました。

私の方は毎日母にかかりっきりだったので、祖母に情報共有することができていませんでした。

一般病棟に移ってから母が自分で連絡できるようになり、

祖母も現状を把握してきた感じでした。

 

祖母は行動力のある女性です。

フットワークもとても軽い。

母も私もそんな祖母の血が流れているからか、本当に男気のある女性家系です(笑)

田舎からはるばる東京へ出てきてくれた祖母。

普段はめったに東京へは来ないので、とても緊張していたと思います。

無事に駅で合流できて、ほっとしました。

12月の東京は少しまだ秋っぽさも残っていて、街にある紅葉も楽しみながら向かいました。

 

約5か月ぶりに会う、母と祖母。

「生きてたか~」なんて冗談を言いながら、あっという間に親子に。

母と私の間にある空気と同じように、母と祖母にも2人の空気がありました。

私は買い物に出ると言ってそっと部屋を後にし、二人の時間を過ごしてもらいました。

 

最近のお互いのことととか祖父のことや、地元の役員の話とか色々と話したようです。

1時間くらい経ってから部屋に戻り、お昼は院内にあるレストランで洋食をいただきました。

 

この頃は自炊をする余裕はもちろんありませんでしたし、

外食が多くなっていたものの、1人で食べることがほとんどだったので、

誰かとそれも家族と食べるご飯のありがたみを感じました。

高層の病院であるため、最上階にあるレストランからの景色はきれいでした。

自分の病院にはないサービスなので、大きい病院は違うなあと。

 

 

食事をして、部屋に戻って食べてきたものの話なんかをしているうちに、

あっという間に祖母の帰る時間になりました。

田舎に帰るのを考慮するとあまり長居はできないんですよね。

 

最後に3人で写真を撮りました。

普段の生活だったら、3人で写真撮ることなんてなかったなと思います。

写真とかノートに書いたり、どんな形でも残すことって大切だし、

むしろ残すことに少し敏感になっていたのではないかと思います。

 

返り道では、祖母は率直に「もう少し悪い状態かと思ってた。よくなるのかね」

と気持ちを教えてくれました。

どうなるのかわからない気持ち、母本人にはあまり言えないし、

家族と不安を共有できて、私自身気持ちが楽になったのを覚えています。

というか、母ではないオトナに不安を話せたことが大きかったのではないかと思います。

 

ケーキとかチキンとかクリスマスプレゼントがあるキラキラしたクリスマスではなかったけど、とても記憶に残る一日になりました。

 

次回は病院年越しからの転院の様子をお届けしたいと思いっています。

では。