あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

この先一生入院と言われて。

転院して間もなく、遺伝性疾患が疑われ遺伝子検査を行っていたのですが、

3週間ほど経った頃に、主治医より検査の結果を伝えたいと連絡がありました。

 

病状説明の日、夕方に病院へ行き、母と話しながら待っていました。

予定時間を少し過ぎたあたりに先生が来て、母に言いました。

 

「一緒に聞きますか?先に別室でご家族にお話しようかと思っているのですが」と。

 

そんなこと言われたら、身構えてしまいますよね。

しかも良い内容ではないなって。

 

そういうことは先に私に言ってほしかったよ、先生。

母がいるところではなくて、どうするか聞いてほしいなと思いましたね。

 

 

「どうしよっか」って言って、動揺してこわばる顔。

なんとなく事態を察した私は、先に聞いてみてくるって言って部屋を後にしました。

 

 

病状説明の部屋に移動。

部屋には主治医と研修医と私。

 

そこで言われたのは「原発性免疫不全症候群」という診断。

 

遺伝子検査の結果、免疫系の検査数値に異常が出ており、

この疾患に酷似しているとのこと。

またまた初めて聞く病名。

そう、またもや難病でした。

 

その後詳しい説明を受けました。

どうやら後天的に免疫系が働かない状態となり、

その免疫異常が小腸に現れたと考えられるとのこと。

 

あの時、確か本当に言われたことを理解するのに必死でした。

予想の上を行く展開で、自分の何もかもが追いついていなかったです。

先生は診断が見つかった!!とばかりに、こちらの心境お構いなしに、

どんどん説明していくし、大混乱でした。

ぽつりぽつりと浮かぶ質問を投げかけて、

そうそう、私がちゃんとしなきゃってなって。

 

一番気になること、”今後はどのような流れになるんですか?”

その問いかけに、

「遺伝性の疾患ですから、根本の治療はできません。対症療法を行いつつより良い状態に近づけて、地元の病院でも診療できるレベルにしていきます」

「原因が解消されない以上は今後、口から物を食べることはできないと思います。

 点滴での生活が一生続き、今行っている治療を継続するためには最期まで入院生活となると思います」と。

 

つまり、一生入院しながら何も口から食べられず点滴生活を行っていく。

という未来を告げられたのです。

 

自分の頭では処理できないことばかり、思考がフリーズしました。

でも、この後には母への説明が待っていました。

本人を前にすることを考えると、スッと冷静になっていく自分もいました。

 

30分くらい話し、医師らとともに母の病室に戻りました。

 

病名やどのような疾患かについては同様の内容を平易な言葉で説明されました。

医師から質問はないか確認される母。

 

 

余談ですが、「質問ありますか?」って簡単に言うけど、

今初めて聞いて衝撃の中にいるときに、質問できる人っているのでしょうか。

医療者の私でさえ、一旦飲み込むまでに時間を要しました。

 

こちらに助けを求めてくる母。

何でもいいから今一番気になることは何かと問いました。

また出てきたらその都度聞けばいいから、と。

 

そして、母が質問したことはただ一つ。

 

「先生、私は食べられるようにはなるんですか」

 

 

医師は先と同様に、食べられるようになることは難しいと伝えました。

 

 

 

その日は、これで終了しました。

医師が去ったあと、お互いに「どうゆうこと?」と頭がはてなだらけに。

沈黙ばかりで意味のある会話はなかったように思います。

空気の重さを感じずにはいられませんでした。

 

 

 

さらなる転院で治療法が見つかるかもしれないという

思い描いていたハッピーエンドはそこにはなく。

あったのは、バッドエンドだけでした。

 

 

帰り道、こんなに涙が出るのかというくらい泣きました。

 

母も泣いたのかな。

お互いには涙をみせられなくて。

入院中、母が私の前で泣いたのはICUにいる時だけだったな。

 

 

今回は少し暗い内容となってしまいましたが、

この時の出来事はこの先も一生忘れないと思います。

絶望するってこういうことなんだって思いました。

 

次回は原発性免疫不全症候群について少し触れていきたいと考えています。

今回はこの辺で。

お読みいただいた方、ありがとうございました。

では。