あの日の誰かのためのブログ

自分のできることから少しずつ。

差し入れの重責。母年表をもとに試行錯誤する日々。

前回、入院生活の暇つぶしに読書を始めた母について書かせていただきました。

今回は差し入れの本を選ぶ中で、考えたことについてお話していきます。

 

一般的に、人に何かをプレゼントするときってその人の背景だったり、

大切にしているものから想像を膨らませて贈るものを考えたりすると思うんです。

そのようなことを考える中で、母の背景や母がこれまで大切にしてきたものについて、

自分はあまり知らないということに気が付きました。

私が大学生で一人暮らしを始めるまでの、18年間をともに暮らした母。

学生時代は自分の人生軸しか存在しておらず、

母の人生について関心がなかったように思います。

そこで、今一度”母という人”の人生について考えみることにしたんです。

内容は簡単で、「母年表」と題して、

母の出生から現在に至るまでの情報を年表のように書きだしました。

母の話によく出てくる友人や、学生時代の部活動やクラブ活動、バイト、新社会人で就職した職業など。

子どもを出産後の人生がどういうものであったか、

これまでの人生においてキーとなっている出来事は何かを考え描いてみたのです。

描く前からもわかっていた通り、母のことをあまり知らなかったことをさらに実感。

身近な家族こそ、意図的に価値観に触れていくことは大切だと思いました。

現在の趣味や関心、置かれている状況など色々な背景を捉え、

どのような本が元気づけられるだろうか、心が軽くなるだろうかと熟考しました。

 

入院生活が1年経過しようとして、ある視点から言えば病院に長いこと捕らわれた母。

牢獄のように外界と人との関わりが絶たれた生活。

牢獄がどういう場所かはわからないのですが。

(厳密にいえば、テレビの世界観としてでしか理解できていないのですが。)

外界と遮断された世界で生活する母。

 

外界からの情報は、自分でスマホから得るか、私からの情報か。

しかも、本や雑誌なども書店に並んだ無数の中から選ぶわけではなく、

買い手である私が選んだものでしか世界がつくられない。

そんなことを思った私は、私が手渡すその一回一回の本や雑誌が

母の入院生活の質に直結すると感じて、勝手に責任の重さを感じていました。

 

本の差し入れに責任!?と大げさだと思うかもしれないのですが、

私が渡した世界で楽しいも、悲しいも、感動も、恐怖も、面白さやワクワク、ドキドキも左右されてしまう。

そう思うとなんだか怖いなと。

 

そうして色々と考える中で、世の中にはこんな本もあるのかと思う

発見的な出会いもありました。

それは、料理の挿絵がきれいに描かれた短編小説や、

料理の写真ページもある本たちでした。

今まで本といったら、活字ばかりの小説のイメージが強くありました。

しかし、それに比べ見つけた本たちは堅苦しくなく、

絵本的な要素も楽しめるという、とても画期的な小説群でした。

こんな本もあるのか!と書店で心躍った記憶があります。

料理や食事が好きな母、今は病気の関係で何も食べられない状態。

 

入院後、今までは食品の匂いを嗅いでもらったり、

雑誌をみてもらって楽しんでもらっていました。

「本は読むのが疲れる。何も考えなくてもいい雑誌や音楽、テレビが楽」と言っていた母。

 

挿絵付きや写真付きの小説であれば、

疲れない読書をしてもらえるかもしれないと思いました。

 

プレゼントするまで、母が読むまでとてもワクワクしました。

案の定、母の反応は抜群で、こんな本あるんだねって驚いていました。

 

本を読むのが苦手な方、本を読みたいけど長く読むのは疲れてしまう方におすすめだなと思います。

長時間小さな文字をみるのはしんどいですが、

時折の挿絵や写真などで少し休憩ができ、苦なく読み進めることができたようです。

文字を読む元気がないときは、文字ではないものでも楽しむことができる。

そんな風に、本の可能性が広がる出来事となりました。

 

最後に今回の差し入れ本のご紹介をしていきます。

 

 

 

 

 

 

今回も最後までお読みいただい方、またそうでない方もありがとうございました。

ここ数回脇道に逸れた読書の話題も次回で最後にしようかと思います。

入院中に母が読んでいた本の紹介を終えたら、また入院経過についてお話していきたいと考えています。

では。